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墓石の神秘と歴史

墓石はただの石ではない
そこには人の切ない想いがある。
人は人が考えているほど強くない。
人生に立ち止った時、
家族にも話せない深い切なさを感じた時、
その人を超える憤りを抱えた時、
人々は耐えかねたとき、お墓がある。
そこで再会し、伝え、心で叫び、訴える。


なぜお墓は石なのでしょうか。日本最初のお墓(墓石)が登場するのは、まだ日本の国が生まれたばかりの頃のお話。神話の世界までさかのぼります。

日本最初の墓石は「千引石(ちびきいわ)」

墓石のルーツは「千引石」です。千引石はイザナミの埋葬地の出入口に置かれた巨石で、まぎれもなく墓石です。それも日本で最初に文化的な意味づけをされたシンボルとしての「墓石」といえます。この石には死者の国の出口を塞ぎ、死者が地上に出ること、逆に生者が地下の死者を暴くことを防ぎ、タブーを犯す者を追い返す力があるといわれています。これは死者が大地に帰り、大地と同化して、新しく再生する神聖な営み(自然の理)を保障するためといわれています。
千引石(ちびきいわ)
千引石(ちびきいわ)
イザナギとイザナミ(ボストン美術館蔵)
イザナギとイザナミ(ボストン美術館蔵)

墓石はこの世とあの世の境界石

墓石は境界石です。「あの世」を身近な所と感じる日本人にとって、あの世との境界を示すシンボルはたいへん重要です。日本で最初の墓石とされる「千引石」はのちに、神社の鳥居や道祖神・お地蔵様などにも繋がっていきます。あの世を含む異界との境界にあって、異界からの災厄を防ぎ、異界へ行く人の安全を守る「霊力」を持つものです。

墓石は死者と会話できる石

イザナミとイザナギが千引石をはさんで「事戸を渡す」シーンには実は重要な意味があります。神話の中には「其の石を中に置きて各対ひ立ちて事戸を渡す」とあります。これは現代、私たちがお墓参りの際に「墓石」を中に置いてご先祖様に話かけているシーンそのものです。墓石自体が、この世の人にとって「死者」となり、死者にとって「この世の人」となる役割(霊力)を持っていたからです。
五輪塔型のお墓
五輪塔型のお墓

日本の墓石の歴史

日本では、平安時代に仏教の伝来に伴って、石工の技術も渡来した朝鮮や中国の人々によってもたらされ、供養塔や墓石としての五輪塔、宝塔、多宝塔、層塔などが支配階級の間で出現しました。鎌倉時代から室町時代になると、中国から禅宗の到来とともに位牌と戒名が伝わり、位牌型の板碑や今日の形に近い角柱型のものもつくられるようになりました。
江戸時代になると檀家制度が確立し、ご先祖に対する供養や葬儀、お墓などの仏事が生活の中に定着するようになり、庶民まで墓石を建立するようになりました。家紋を入れるようになったのはその頃からといわれています。
はじめ墓石は個人や夫婦のためのものでしたが、明治の中頃には家制度の確立により、家単位で建立されることになり、以前は正面に故人の戒名(法名)を彫っていたものから、「○○家先祖代々之墓」などのような形に変わっていきました。
太平洋戦争後、洋風の公園型墓地の普及に伴って洋型の墓石が登場。現在ではデザイン墓石やオリジナリティ溢れた形状など多様化しています。
故人を創生する証として
【想いを形に】
アイエムはかけがえのない故人への永遠の想いを様々な形で表すお手伝いをいたします。

 

墓石とお釈迦様

  仏教の始祖であるお釈迦様が亡くなられると、信者は亡骸を火葬し、遺骨(仏舎利)を埋めたうえに石塔を建立したといわれます。その石塔をストゥーパといいます。以後、仏教では供養のために塔を建立することが習慣的になっていきます。お墓に立てる木製の卒塔婆はストゥーパを漢字で音写したものですし、五重塔や三重塔も起原はストゥーパと考えられます。墓石もストゥーパを起原とします。
 墓石は、日本では平安時代の貴族や高僧の墓に見られるようになりますが、庶民の間に普及するようになるのは、江戸時代に入ってからです。それまでの庶民の墓は、塚や小石、挿し木など、目印としての簡単なもの(墓じるし)で済ませていたようです。墓と仏教(寺院)のつながりが密接になるにしたがって、墓石も定着していきます。

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